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明治33年(1900年)12月2日に開業。
相対式2面2線の無人駅で、昭和63年11月30日竣工のヨーロッパ山小屋風駅舎があります。
山部地区はほぼ全域を北大第8農場と東大演習林で占められ、かつては「大学村」といわれていた。
大正4年に下富良野村(現在の富良野市)から分村して成立、昭和40年に町制を施行いたしました。
ところが、人口3万人以上の町村に市制を促す、新市町村建設促進法のもと、富良野町が積極的に合併運動を展開しました。
山部町内では反対意見が強かったものの、昭和41年5月1日合併が成立し、富良野市が誕生いたしました。
山部市街は農産物の集積地であるほか、かつては野沢石綿鉱山の城下町であり、また大本教北海別院の門前町としての一面も持っている。
駅前広場がしっかりしており、国道沿いには立派な商店街が残っています。
この駅に関する写真はこちら
相対式2面2線の無人駅で、昭和63年11月30日竣工のヨーロッパ山小屋風駅舎があります。
山部地区はほぼ全域を北大第8農場と東大演習林で占められ、かつては「大学村」といわれていた。
大正4年に下富良野村(現在の富良野市)から分村して成立、昭和40年に町制を施行いたしました。
ところが、人口3万人以上の町村に市制を促す、新市町村建設促進法のもと、富良野町が積極的に合併運動を展開しました。
山部町内では反対意見が強かったものの、昭和41年5月1日合併が成立し、富良野市が誕生いたしました。
山部市街は農産物の集積地であるほか、かつては野沢石綿鉱山の城下町であり、また大本教北海別院の門前町としての一面も持っている。
駅前広場がしっかりしており、国道沿いには立派な商店街が残っています。
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