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明治35年(1902年)12月6日に開業。
ホームは単式1面1線で盛土上にあり、駅舎とホームは階段でむすばれています。

1998年の冬から映画「鉄道員」ロケのために建物はそのままにして、モルタルをはがし板を張るなど改修され昔風の駅舎になりました。
映画での駅名が「幌舞駅(ほろまいえき)」だったことから、駅舎には「幌舞駅」と書かれています。

駅前には床屋や商店など映画で使用された建物がそのまま保存され、さらにぽっぽや号(キハ40-764)の一部が駅の横に展示され、ちょっとしたテーマパークのようであります。
セットの一部や駅舎内の展示施設は見学が出来るようになっており、夏にはお土産屋も出店しています。
乗車券の委託販売窓口は2003年3月限りで廃止されため、夕方5時閉めてしまいます。。 幾寅は南富良野町の中心市街地で、役場や高校があります。 金山行きの南富良野町営バス、落合・トマム経由の占冠行き占冠村営バスが出ています。

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大正6年(1917年)12月1日に開業。

島式1面2線のホームを跨線橋が結んでいます。
近年になって、配線はそのままで
駅舎側に1番ホームを新設し、
跨線橋を渡らなくてもよいように改造されました。

駅舎は1972年築のコンクリート平屋建てで、
待合室内にはキヨスクもあります。

利用者は沿線中では大変多く、
駅弁のかきめしが有名で、
森のいかめしや長万部のかにめしと
並ぶ名物駅弁であります。

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島式ホーム1面2線を有する地上駅で、駅裏に石灰岩の鉱山があったため、昭和初期からは室蘭の製鉄所への運搬拠点として、鉱山までの専用線が敷かれた。
最初は信号場であったが、昭和21年に旅客も扱う駅に昇格しました。
その後はホクレン中斜里製糖工場への搬出のため、中斜里行の貨物列車が運行されていた。
1997年3月で廃止となり、同時に無人駅となりました。

駅周辺は何もありませんが、かなやま湖が広がる美しい光景がご覧になれます。 ただ、1km離れた所に小市街がございます。

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大正6年(1917年)12月1日に開業。

ホームは元島式の交換駅で、
近くの採石場までの引込線が敷設されており、
鉄道の道床バラスト用の砕石が
砕石撒布用ホッパ車によって
積み出されていました。
運び出された砕石は、
釧路鉄道管理局内の全線で使用されました。
引込線撤去後は、
厚岸駅に積み込み設備を設け、
そこから積み込んでいる。

先代の駅舎は昭和25年に建てられたもので、
珍しい段違い屋根を持つ駅舎でありましたが、
2003年6月に現駅舎に建替えられました。

駅前は国道44号が通り
なかなか賑やかであります。

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明治33年(1900年)12月2日に開業。
相対式2面2線と留置線をもつ空知川の崖の上の、深い山の中にあるのどかな無人駅です。
保線の建物や車庫があり、除雪や保線の基地となっているようで、煉瓦積みの危険品庫が残っていました。

前の通りに出ると民家や商店があり、右手に進んでいくと郵便局があります。
金山は南富良野町に5つある市街地の一つで学校もございます。

古くから林業が盛んで、明治40年には富士製紙が工場を設置し、沿線で最も活気のある街となりました。
さらに、明治の末にはトナシベツ川の砂金でゴールドラッシュに沸いたこともあるようです。

昭和5年にはトナシベツ川沿いに9kmの森林軌道が敷かれて造材が急ピッチで進み、
北西の丘陵の上には戦後の緊急開拓者が入植した。

昭和56年の石勝線開通により占冠駅ができましたが、それまで占冠へは金山からバスを乗り継いで行くしかなかったのです。
現在も駅前からはかなやま湖経由幾寅行きの南富良野町営バスと、占冠行きの占冠村営バスが出ています。

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