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1913年に開業。
駅名の「野花南」はアイヌ語の「ノッカ・アン」(仕掛け弓のさわり糸のある所)からきているらしい。

ホーム2面2線を持つ無人駅で両ホーム間はかなり離れている。
跨線橋はなく構内踏切を渡る形となっています。

駅前には商店や郵便局がある。
最寄りのバス停は、高速バスが停車し、富良野・札幌の両方面ともに乗降可能である。

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周辺の駅と同様に、
かつて林業が盛んであった頃は
周辺や咲来峠筋の山林から切り出された
木材の出荷駅として栄えていた。

稚内方面に向かって左側に木造駅舎と
その横の稚内側に荷物積卸場、
駅舎の反対側に貨物積卸場がある。

駅舎を中心とする千鳥状の単式ホーム2面2線と、
荷物積卸場へ稚内側から引込み線、
外側に貨物積卸用の副本線を
それぞれ有する一般駅であった。

その後、荷物及び貨物取扱い廃止により
貨物線の撤去、無人化に伴い
駅舎側ホームに棒線化及び
旧駅舎の撤去と待合室の設置が行われ、
単式ホーム1面1線の無人駅となりました。
 
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1920年に開業。
1932年に芦別森林鉄道が開業。
1949年に三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道が開業。
そのためか駅構内は広くなっています。

現在は島式ホーム1面2線を持つ無人駅となっています。
市街はそれなりに大きく、立派な商店街がございます。
駅前にはきれいなバス停があり、30分おきに芦別行きのバスが出ています。

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単式ホーム1面1線と島式ホーム
1面2線を持つ社員配置駅であります。

みどりの窓口が設置されており、
8時40分から16時40分まで営業しており、
切符もみどりの窓口で購入となる。

かつては天北線が分岐していた
交通の要衝でありました。
天北線廃止後、音威子府村の予算により、
木造駅舎から現在の
交通ターミナル駅舎に改築された。

今でも中頓別・浜頓別など、
乗換駅として重要な拠点であり、
特急列車が停車する。

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1913年に下芦別として開業。
1940年、三井鉱山専用鉄道開業。
1946年に芦別と改称される。

現在は2面2線の相対式ホームをもつ業務委託駅。
かつては3番のりばから三井芦別鉄道の列車が発着していました。

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