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昭和12年12月28日竣功と古い駅舎ですが、
全面的にリフォームされています。
待合室は広く、冬期には朝ストーブが焚かれます。
雪印のバター工場があり、市街地となっており、
駅前は民家も多く、国道に出ると商店やコンビニもあります。
全面的にリフォームされています。
待合室は広く、冬期には朝ストーブが焚かれます。
雪印のバター工場があり、市街地となっており、
駅前は民家も多く、国道に出ると商店やコンビニもあります。
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2面3線の地上駅で、
摩周駅管理の業務委託駅で、
みどりの窓口が設置されている。
かつては2・3番のりばから
標津線の列車が発着していた。
ホーム上にはSLの形をした
木製のオブジェが現在も残っている。
標津線は1989年に廃止されました。
駅舎は1999年12月に改装され、
駅隣にはバスターミナルがある。
標茶は根釧台地における
パイロットファームなどの、
大規模な酪農地帯開拓拠点となった町で、
市街地は昔から拓けている。
ただ、昭和28年の大火による復興で、
駅前は整然としています。
この駅に関する写真
摩周駅管理の業務委託駅で、
みどりの窓口が設置されている。
かつては2・3番のりばから
標津線の列車が発着していた。
ホーム上にはSLの形をした
木製のオブジェが現在も残っている。
標津線は1989年に廃止されました。
駅舎は1999年12月に改装され、
駅隣にはバスターミナルがある。
標茶は根釧台地における
パイロットファームなどの、
大規模な酪農地帯開拓拠点となった町で、
市街地は昔から拓けている。
ただ、昭和28年の大火による復興で、
駅前は整然としています。
この駅に関する写真
1線1面のホームで、
貨車を利用した駅舎がある。
この駅の利用者はほとんどいないが、
なぜか名前はよく知られている。
五十石の名の由来は、
アトサヌプリ(川湯硫黄山) の
硫黄を運搬する五十石船が
このあたりまで遡ってきたことによる。
ここからアトサヌプリまで
釧路鉄道が敷かれていたようです。
釧網本線が開通する前は、
この釧路川の蒸気船が
開拓民の交通手段としても活躍していた。
一見何も無さそうな無人駅ですが、
駅前にレストラン兼温泉
がある素晴らしい駅です。
この駅に関する写真
貨車を利用した駅舎がある。
この駅の利用者はほとんどいないが、
なぜか名前はよく知られている。
五十石の名の由来は、
アトサヌプリ(川湯硫黄山) の
硫黄を運搬する五十石船が
このあたりまで遡ってきたことによる。
ここからアトサヌプリまで
釧路鉄道が敷かれていたようです。
釧網本線が開通する前は、
この釧路川の蒸気船が
開拓民の交通手段としても活躍していた。
一見何も無さそうな無人駅ですが、
駅前にレストラン兼温泉
がある素晴らしい駅です。
この駅に関する写真
タンチョウの来る駅として有名な駅で、
有人時代に駅員が餌付けをして全国に知られるようになった。
現在も冬になると丹頂が姿を見せることは珍しくない。
運が良ければ夏でも出会えるようです。
付近に農家もあるが、旅人の利用が多い。
道路に出て右方向に10分ほど歩くと
シラルトロ沼、キャンプ場などの施設がある。
徒歩15分の憩の家かや沼のお風呂は評判良し。
かつては周辺のミズナラ、シラカバなどを
伐採して木炭を生産し、この駅から搬送したそうです。
この駅に関する写真はこちら
有人時代に駅員が餌付けをして全国に知られるようになった。
現在も冬になると丹頂が姿を見せることは珍しくない。
運が良ければ夏でも出会えるようです。
付近に農家もあるが、旅人の利用が多い。
道路に出て右方向に10分ほど歩くと
シラルトロ沼、キャンプ場などの施設がある。
徒歩15分の憩の家かや沼のお風呂は評判良し。
かつては周辺のミズナラ、シラカバなどを
伐採して木炭を生産し、この駅から搬送したそうです。
この駅に関する写真はこちら
相対式2面2線ホームの無人駅。
交換可能駅ということで、
ノロッコ号の終点となっている。
夏の「くしろ湿原ノロッコ号」運転期間には、
釧路駅から駅員が派遣され、
当日分の乗車券とノロッコ号
指定券の発売を行うことがある。
1998年に建て替えられた駅舎内には
「ノロッコ&8001」という名前の
喫茶店が併設されている。
店内には、様々な鉄道部品が飾られているほか、
食器・カップ類は実際に「トワイライトエクスプレス」
でも使われているものが出される。
駅周辺では塘路湖など見どころは多いのだが、
ノロッコ号を降りて塘路湖
に向かう観光客はほとんどいない。
たいていは駅前を少しうろうろして
同じ列車で釧路に戻るか、
観光バスでどこかに行ってしまうかである。
塘路は古くからある地名で、
釧網本線開通後は殖民軌道が引かれ、
内陸開拓の拠点となった。
昭和20年代に木炭の生産が日本一となり、
積み出しの貨車で賑わった。
現在は林業と塘路湖のワカサギ漁が盛んである。
この駅に関する写真
交換可能駅ということで、
ノロッコ号の終点となっている。
夏の「くしろ湿原ノロッコ号」運転期間には、
釧路駅から駅員が派遣され、
当日分の乗車券とノロッコ号
指定券の発売を行うことがある。
1998年に建て替えられた駅舎内には
「ノロッコ&8001」という名前の
喫茶店が併設されている。
店内には、様々な鉄道部品が飾られているほか、
食器・カップ類は実際に「トワイライトエクスプレス」
でも使われているものが出される。
駅周辺では塘路湖など見どころは多いのだが、
ノロッコ号を降りて塘路湖
に向かう観光客はほとんどいない。
たいていは駅前を少しうろうろして
同じ列車で釧路に戻るか、
観光バスでどこかに行ってしまうかである。
塘路は古くからある地名で、
釧網本線開通後は殖民軌道が引かれ、
内陸開拓の拠点となった。
昭和20年代に木炭の生産が日本一となり、
積み出しの貨車で賑わった。
現在は林業と塘路湖のワカサギ漁が盛んである。
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