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普通列車でも一部が通過扱いで停車する列車が少ない駅で、
いわゆる秘境駅のひとつとされている。
単式ホーム1面1線の無人駅である。
元々、この地域が初めて入植者の入った場所だったが、
土地の悪さから移転してしまったため、
「白滝」に対して「旧白滝」の地名が付いたといわれる。
砂利のホームで舗装されてはいませんが、
板張りであることが多い仮乗降場上がりの駅にしては
これでも立派なほうだと思います。
周辺には農家が数件というたたずまいですが、
駅近くの国道が賑やかなので静かではありません。
この駅に関する写真
いわゆる秘境駅のひとつとされている。
単式ホーム1面1線の無人駅である。
元々、この地域が初めて入植者の入った場所だったが、
土地の悪さから移転してしまったため、
「白滝」に対して「旧白滝」の地名が付いたといわれる。
砂利のホームで舗装されてはいませんが、
板張りであることが多い仮乗降場上がりの駅にしては
これでも立派なほうだと思います。
周辺には農家が数件というたたずまいですが、
駅近くの国道が賑やかなので静かではありません。
この駅に関する写真
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島式ホーム1面2線の地上駅で、ホームへは構内踏切を渡る。
昭和初期には武利森林鉄道が開通。
木材や物資輸送の中継点として多くの側線を有し、貨物輸送でも賑わっていた。
丸瀬布の語源は、アイヌ語の「マルセップ」(三つの川が集まる広いところ)が転訛したもの。
駅舎と思われた建物は「丸瀬布町生涯学習館」という建物で、駅待合室も兼ねています。
かつては町の中心部でしたので、駅前の国道に出るとコンビニがございます。
この駅に関する写真
昭和初期には武利森林鉄道が開通。
木材や物資輸送の中継点として多くの側線を有し、貨物輸送でも賑わっていた。
丸瀬布の語源は、アイヌ語の「マルセップ」(三つの川が集まる広いところ)が転訛したもの。
駅舎と思われた建物は「丸瀬布町生涯学習館」という建物で、駅待合室も兼ねています。
かつては町の中心部でしたので、駅前の国道に出るとコンビニがございます。
この駅に関する写真
2面2線の単式・島式の複合ホームを持つ地上駅。
かつては2面3線として多数の側線を有しており、現在は残るうちの1線は遠軽方・白滝方ともに繋がっているが、出発信号機は両方向とも使用停止となっている。
駅名の瀬戸瀬は、アイヌ語の「セトゥシ」(巣の多いもの)が転訛したもの。
あるいは「セタニ・ウシ・ウトル・コツ」(エゾノコリンゴの木が群生する間のくぼ地)が短くなったもの、とされている。
駅舎は1988年に現在のコンクリート製に建て替えられた。
駅周辺は郵便局や小学校もある小市街となっている。
この駅に関する写真
かつては2面3線として多数の側線を有しており、現在は残るうちの1線は遠軽方・白滝方ともに繋がっているが、出発信号機は両方向とも使用停止となっている。
駅名の瀬戸瀬は、アイヌ語の「セトゥシ」(巣の多いもの)が転訛したもの。
あるいは「セタニ・ウシ・ウトル・コツ」(エゾノコリンゴの木が群生する間のくぼ地)が短くなったもの、とされている。
駅舎は1988年に現在のコンクリート製に建て替えられた。
駅周辺は郵便局や小学校もある小市街となっている。
この駅に関する写真
昭和61年に臨時降場として開業したが、
翌年4月のJR発足時に正式な駅となりました。
一線一面、棒線の無人駅でありますが、
旭川市の市街地にあるせいか、
待合室は他の駅と比べると広くなっていいます。
駅は簡素で駅前もラーメン屋が
あるだけではありますが、
駅を降りて右手に歩くと、
旭川の都市環状線に面しているせいか、
郊外店が多く建ち並んでいます。
この駅に関する写真
翌年4月のJR発足時に正式な駅となりました。
一線一面、棒線の無人駅でありますが、
旭川市の市街地にあるせいか、
待合室は他の駅と比べると広くなっていいます。
駅は簡素で駅前もラーメン屋が
あるだけではありますが、
駅を降りて右手に歩くと、
旭川の都市環状線に面しているせいか、
郊外店が多く建ち並んでいます。
この駅に関する写真
2面4線の単式・島式ホームの構造で、中線が1本ある。
列車は大半が1番のりばを使用しますが、
上り普通列車は2番のりば、
下り普通列車の一部は3番のりばを使用する。
駅舎開放時間は5時30分 - 22時で、
みどりの窓口(営業時間:7時35分 - 19時50分)、
キヨスク、立ち食いそば・うどん店がある。
早朝・夜間は無人になるが、
運転扱いの駅員は終日配置されている。
北海道では数少ない、スイッチバックの駅であり、
もともと列車で旭川方面から北見方面へ向かうには、
名寄から名寄本線で紋別、中湧別を経由して湧別線で
遠軽を通り北見方面へ向かうのがメインルートだった。
後の1932年(昭和7年)に全通した石北本線が、
湧別線の北見方面向きとは反対向きにこの遠軽駅に接続し、
湧別線の遠軽以南を石北本線に、
遠軽以北を名寄本線に編入してからは、
石北本線の列車が遠軽駅で折り返す運行形態が主流になった。
以後半世紀以上にわたり石北本線と名寄本線の
分岐する鉄道の要衝として賑わったが、
1989年(平成元年)の名寄本線廃止以降は、
駅自体が石北本線のスイッチバックだけの駅になっている。
電球式の乗り場案内板があり、
方向別に番線のみ表示をしている。
現在でも、この案内板下段には、
「紋別・名寄方面」の欄がうっすらと残っている。
この駅に関する写真
列車は大半が1番のりばを使用しますが、
上り普通列車は2番のりば、
下り普通列車の一部は3番のりばを使用する。
駅舎開放時間は5時30分 - 22時で、
みどりの窓口(営業時間:7時35分 - 19時50分)、
キヨスク、立ち食いそば・うどん店がある。
早朝・夜間は無人になるが、
運転扱いの駅員は終日配置されている。
北海道では数少ない、スイッチバックの駅であり、
もともと列車で旭川方面から北見方面へ向かうには、
名寄から名寄本線で紋別、中湧別を経由して湧別線で
遠軽を通り北見方面へ向かうのがメインルートだった。
後の1932年(昭和7年)に全通した石北本線が、
湧別線の北見方面向きとは反対向きにこの遠軽駅に接続し、
湧別線の遠軽以南を石北本線に、
遠軽以北を名寄本線に編入してからは、
石北本線の列車が遠軽駅で折り返す運行形態が主流になった。
以後半世紀以上にわたり石北本線と名寄本線の
分岐する鉄道の要衝として賑わったが、
1989年(平成元年)の名寄本線廃止以降は、
駅自体が石北本線のスイッチバックだけの駅になっている。
電球式の乗り場案内板があり、
方向別に番線のみ表示をしている。
現在でも、この案内板下段には、
「紋別・名寄方面」の欄がうっすらと残っている。
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